中年サラリーマン パチンコ・パチスロ依存症からの脱出

40代のサラリーマンがパチンコ・パチスロの依存症から脱出するまでの軌跡。抱えてしまった多額の借金!パチンコとパチスロを憎み、この業界を憎む。一人でも被害者を出さないために。ブログを書く

ギャンブル依存症の恐ろしさ


スポンサードリンク


f:id:stopachinkoslot:20180901081941j:image

ギャンブル依存症の恐ろしさはなんといっても繰り返してしまう常習性であろう。

普通の人から見たら何でそんなにパチンコやスロットに行くのか理解できないだろう。

 

パチンコ、スロット依存に陥ると頭の中の八割以上がパチンコやスロットに占有されてしまう。

例えば仕事終わりに時間があればパチンコのことが頭の中をぐるぐると回り始める。

この時に少し考えて他の選択肢もあるのだが、、、。

例えば映画やスポーツジムに行くとか、飲みに行くとか。

パチンコで使い負ける金額で余裕で遊べてしまうものばかりだとしても結局パチンコやスロットに行く。

正確に言うならばもはや、頭の片隅に本の少しでもパチンコ、スロットがあっただけで、全ての選択肢はかき消されてパチンコやスロットしかのこらない。

最初から決まっていて選択の余地はない。

 

パチンコやスロットが頭の片隅にあると、子供の頃に祭りに行くように、夏に海につれていってもらえるかのような、ものすごく楽しみな気持ちになる。

大人になってもパチンコ、スロットにはこの気持ちを味わうことはない。唯一だといってもいい。

 

いって後悔するのは間違いないが、気持ちとしては行かないという選択肢はないのだ。

それが健全で楽しいのであれば誰もなにも言わないし、パチンコやスロットはムシロ称賛されるべきかもしれない。

ただしそこに待つのは破滅の道しかない。

たまに敗けが混みすぎて、暴れる客がいたりもするが、気持ちはわかる。

 

パチンコやスロットはそもそも負けるように、できている。そこは理解しているが、あまりにもヒドイ負けかたをさせる。

けつの毛一本も残さないかのように、ハイエナに襲われた動物のように骨しか残らない、いや骨すら残さないごとく負けさせるやつらのやり方にも問題はある。

 

せめて負けた人が犯罪や自殺に走らない事を祈る。犯罪者を生み出すためのシステムを何故かこの国では許されている。違法になれば皆やらなくなる。

そうあるべきだと思う。もはや依存症は誰かに止めてもらえないと止まらないのだから。

 

助けてほしい。依存症の全てを。

彼らも普通に生きていける権利を、そんな社会にしてほしい。

彼らは愚かだから繰り返す。病気だから。

治らない病気なのかもしれない。